ドゥ・イット・ユアセルフ

最近、何年かぶりにひどい風邪を引いた。朝はなんとか仕事に出かけるものの、夕方頃になると体力が尽きて、家に帰るなり倒れ込んだように眠り、翌朝まで身動きが取れないということが何日か続いた。集中して休めばもっと早く回復したんだろうけど、ちょうどタイミング的にうまく休めず、体調不良を長引かせてしまった。そんな塩梅で寝込んでいたら、珍しいことに昔の夢を見た。友人達がとあるクラブでレギュラーのパーティを開いていて、僕もほんのちょっとだけ手伝っていた頃の話。
そのクラブは都内の小箱の中でもそこそこの老舗で、当時は週末ともなると人気DJのプレイを求めて、広いとは言い難い店内に人がごった返す状態になることがごく当たり前だった(数年立ち寄っていないので、今の状態は知らない)。しかし友人達のパーティは残念ながら平日開催。パーティがレギュラー化した当初はさすがに集客に苦労し、スタッフ以外に店内にいるのは両手で数えられるほど、ということもざらにあった。音楽の質を評価されたが為に集客にノルマが課されていなかったとは言っても、そんな有様では開催している自分たちが楽しくない。何か手を打たないと。そう考えた友人達は、思いつく中でもっとも単純な手を打った。
結果どうなったかというと、何年かそのクラブで続けたパーティの後期には、相変わらずの平日開催ながらも客の入りは週末並となることがしばしば、それどころか、週末に行われる人気DJのパーティよりも売り上げが上がっているのではないか、という話すらあった。友人達がはじめに実行したことなんて、ほんの些細なことだけだったのに。それは来た人全員をしっかりと楽しませてから帰す、と心がけただけ。店内の隅々に目を配り、楽しくなさそうな表情をしている人が一人でもいたら、誰かがすかさず声をかけ、話に引き入れ、振る舞い酒を出す。そうして楽しい気分になってもらえたら、次もまた来てもらえるチャンスがある。また来てもらえれば、前回朝方までかけて作り上げた、親密なムードからパーティを開始できる。さらには、以前はDJだとかその身近な人々だけが実行していた、周囲の人々を楽しませながら自分も楽しむ、ということがパーティの基調として根付き、来場者の誰もが言わずとも、互いを楽しませようと気を使い出す。傍観者やただの受益者から参加者へ。それを繰り返すことによって集客は増え、パーティはより暖かい雰囲気を持って開催できる。与えよ、さらば与えられん。考えてみれば単純なことではあるけど、失敗しているパーティの多くはこのことに気付けていないことがほとんどだし、手作りで小規模から作り上げて成功したパーティには、必ずと言っていいほどこのムードが残っている。
こんなことを思い出したのも、最近、良いパーティとはなんだろう?と頻繁に考えていたからだろうか。何も考えず、ただただ楽しめばいいんだとも思うけど、DJは良くてもどうしても楽しめないパーティに巡り会うこともうんざりするほどあったし、欲しいものが与えられなかったとぶつぶつ不平を言う、快楽をかすめ取りたいだけの人々に辟易させられることもいくらでもあったから、どうしてもそのへんは自覚的にならざるを得ない。そうやって考えてみると、また友人達を誘って、自分達のパーティを開催してみるのも悪くないかな、という気分になる。うん、やってみよう。