Space Lab Yellowの閉店に寄せて


6月21日で、西麻布のSpace Lab Yellowが閉店した。これは、たまたま気が向いたときに出かけて行っては、踊ったり、叫んだり、酒を浴びるように飲んだり、座ったまま流れる音楽に耳を傾けたり、友人やたまたま隣り合った人々とのくだらない話に興じていたりしただけの僕としても寂しいニュースだった。

新宿のリキッドルームが閉店するときにも同じようなことを思ったんだけど、いったいあの場所で自分は何度夜を明かしたんだろう?あの西麻布の地下に初めて足を踏み入れてから10年が越えた。地下2階(たまに地下1階)にいるうちに迎えた夜明けは少なくても10や20じゃなさそうなことは容易に想像がつくものの、実際のところはわからない。好きなDJの久しぶりの来日に指折り数えて待ち続けた日、終わらない宴席の成れの果てに辿り着いた日、友人に呼ばれて何のパーティかも知らないままに立ち寄った日、気になるDJが出演していることを当日の夜中に知って、そのまま自転車で向かった日も何度かあった。そのすべてが最高の夜だったとは言えないにしても、幾度もの最高の夜と、数多くの楽しい夜を過ごさせてもらったことは間違いない。

カール・クレイグのプレイは緻密で、果てがないように感じられた。ボビートが縦フェーダーを落として、スティービー・ワンダーの"Sir Duke"のサビの部分を熱唱する姿に胸が熱くなった(「you can feel it all over!」と歌われるたびに、「うん、感じてるよ!」と返事をしたかった)。ティミー・レジスフォードがフロアを満足げに見渡すあの目で、この人は本当に信頼していいDJなんだ、と暖かい気持ちになった。プレイを初めてしばらくの間は、「なんか、たいしたことないじゃん」と思っていたダニー・クリヴィットは、ガラージ的な曲をかけると、凄まじいまでのEQ使いを見せる。ディミトリ・フロム・パリは生半可な伊達男ではなく、ロマンと享楽(と、そこに辿り着くまでの気の遠くなるような忍耐)を掌る恐ろしいDJだということに気づかされた。ロラン・ガルニエがブースに立っていると、なぜか足は疲れているのに休憩のタイミングを失い、朝方まで踊り続ける羽目になる。ルイ・ヴェガのDJも、いつだって体力の果てるまで踊らされて、もう身体がもたない、と後ろ髪を引かれながらも帰るはめになる悔しいものばかりだった。セオ・パリッシュの繰り出すブラックミュージックなんでも絵巻にはいつだって翻弄されっぱなしだった。NORIが一枚ずつ、大切そうにターンテーブルに置いていくレコードからは、儚くも力強い音楽が流れ出す。デリック・メイのプレイは何度体感しても、セックスの快楽を想起させる、とんでもない代物(フロアが上がりきる前にうまくテンションを落として、上げて落としてと、絶頂は遥か彼方に据え置かれる。踊っていると、次第に絶頂を待ち望んで、"たが"が外れてくる)。フランソワ・ケヴォーキアンはあの柔らかい笑顔が嘘だったかのように思える獰猛な音で僕の頭を揺らした。スピナのDJはいつだって大胆で品がない(それが素晴らしいんだ)。そしてジョー・クラウゼル、もう彼のことはなんと呼べば良いのか・・・まさか、本当に"Last night, a DJ saved my life"だなんてことを実感することがあるだなんて想像していなかった。そんな言葉なんて、よくできたファンタジーに違いないと思っていたのに。
そして、このすべては同じ場所での出来事。記憶を呼び起こしやすいものをざっと並べただけでこの有様ということは、イエローで過ごした夜のひとつひとつを繋げていったら、いったいどんな千夜一夜物語ができることやら。僕一人の記憶だけでそんなことになるんだから、あそこに集っていた人々のものを連ねたら、その話を日々聞いているだけで満ち足りた人生が送れそうな気さえする。DJだけではなく、あの場所と空間を作ってくれた人々、一緒に過ごした人々、すれ違っただけの人々にありったけの感謝を込めて、おつかれさま!またどこかで会いましょう!