ディスコ/ハウスとその歌詞について パート2

昨日のエントリの補完的な意味合いでのパート2。こんなに早く次の話をするとは自分でも思わなんだ。
まずは、「DJがその雰囲気に合った曲を選んでいるだけ」としたことについて。これは言い替えると、ディスコミュージックの作成者や演奏者の意図とは全く違ったポイントで、ディスコ音楽は機能する、という話。作成者や演奏者がどんな意図で曲を作ったり、演奏したりしたとしても、レコードやライブよりも、DJが流す音楽がその場で最も重要なものである以上、ピックアップする人間と受け取る人間のニーズに合ってなければ、それは無いものとして扱われる。こればかりは避けようが無い。確かに僕もディスコ音楽で語られるloveが、昨日触れたような3つの限定された状況のものばかりでないことは知ってはいるけど、残念ながらそのレコードがターンテーブルに乗らないうちは、存在しないものと同列にしかならない*1。だからこそ、ラリー・レヴァンやデイヴィッド・マンキューソなんていう偉大なDJが、何時間も続く一晩のDJプレイの最後の最後に、MFSBの「Love is the message」なんて曲をかけることにも大きな意味付けが出るというものです*2
次に、「musicとかdiscoという単語は、僕はシェルターという意味として捉えている」という点。どこかの誰かのステレオから流れるこんな単語たちは特別な意味を持たないかもしれないけど、それがダンスフロアで流れているのであれば、特別な意味を持つ。これは上の話とは逆に、ピックアップする人間と受け取る人間のニーズに合わせて作成者や演奏者が意図しているポイントなのかもしれない。フロアにいる限り、discoは今いる場所であり、musicはその状況を包んでいるものだから。その場にいる人々にとっては、musicやdiscoという単語は自分を包んでくれたり、守ってくれたりするシェルターとして機能する、ということ。
なんだかこうやって色々思ってたことを言ってたら楽しくなってきた。ディスコ/ハウスの歌詞研究はこのままシリーズ化することにして、あくまでも不定期で気が向いた時にちょっとずつ語ってみようと思います。

*1:その意味で、Faithlessというイングランドダンスユニットがライブの一番の重要な箇所で「God is a DJ!」と叫ぶのは絶対的に正しい

*2:冷静に考えたら、あんなにゆったりした曲でパーティーを終わりにするなんて、特別な意味でも持ってない限りできない。整理体操じゃないんだから。これらのDJがセットの最後にかける有名な曲としては、マニュエル・ゴッチングの「E2-E4」みたいなものもあるけど、今回は歌詞や言葉の話なので除外