舞城王太郎 / 山ん中の獅見朋成雄

山ん中の獅見朋成雄 (講談社ノベルス)
舞城作品の長編で唯一読んでいなかったこの本、ノベルス化されたのを契機に手に取ってみた。読んでいなかった理由は単純、タイトルが読めなかったから。しかし、手に取ってみると答えはなんと簡単なことか、「シミトモナルオ」。そのまま読めば良かったのか。さて、内容。以前どこかで目にしたこの作品の評論か何かに、少年の成長記的物語、と書いてあった記憶があったのでそのつもりで読み進めたのだけど、どうも様子がおかしい。主人公が異界へ迷い込むあたりからその着想は確信へ。これはあれだ。禅だ。禅の、何て言ったかな・・・?と読後に検索をしてみたら、まさに僕が戸惑っていた箇所を端的に言い表したブログを発見しました。

そうでした。公案。悟りを開くために与えられる課題のようなもの、で意味はたしか間違っていないはず。この作品の主人公は(ごくふつうのとは言い難いとはいえ)単なる中学生であるので、悟りに達するというよりは己の人生を次の段階へと突入させる、と考えた方がより理解が容易になるかもしれない。その意味では成長記と呼ぶこともあながち間違いではない。読む人次第ではこれまでの舞城作品のなかで最高傑作となる可能性もある怪作。本題とはずれるかもしれないけど、毛を剃るときや、墨を刷るときに表現される擬音も大きな魅力。「しぞりりりりんに しぞりりりりんに」