"ウォーキング・イン・ザ・リズム"

rum2005-03-13

フィッシュマンズについては、一度何かの形で書いておきたいな、と思いながら手つかずのままでした。でも、来月リリースされるベスト盤*1の曲目も発表されたし、佐藤伸治の命日ももうすぐ*2だしということで、取り留めの無い思いでも書き連ねてみましょうか。ただの感傷的に過ぎない文章になりそうな気もするけれど気にしない。6年越しの追悼文みたいなものだ。


実際、今でもフィッシュマンズはよく聴いている。休日の夕方頃に『ロング・シーズン』を聴くことは他に変え難い楽しみでもあるし、ちょっと弱っている日に『頼りない天使』や『いかれたBaby』なんかを聴くとホロリとすることもある。


考えてみれば、フィッシュマンズには色々なことを教えられた。レゲエの魅力を教えられたのもフィッシュマンズ(と、クラッシュ)からだし、音楽は歌詞やメロディーも大事だけど、音が何よりも大事なんだと教えられたのもそうだ。緩やかで、ぼんやりとしていて、でも力強い彼らの音楽から、物事を決めきらない、宙ぶらりんの状態の楽しさすら学んだんだった(ウォーキング・イン・ザ・リズムってことだ)。それはほとんど生きる規範と言ってもいいものだったかもしれない。


画像はフィッシュマンズ最後のライブになってしまった98年暮れの(ここも今はもうない、)赤坂ブリッツ公演を完全収録したライブアルバム『98.12.28男達の別れ』。ベースの柏原譲が脱退するにあたり最後のツアーということで、ツアータイトルが「男達の別れ」だったのに、本当に別れになってしまうなんてね。実は僕もこの日のライブを観に行っていたので、曲間に聴こえる歓声に自分の声も幾分含まれている、と考えると感慨もより深くなる。このライブの後、雑誌のライブ評なんかを見て回っていたら、「完成度の高い、悲壮感漂うライブ」的なものをよく見た気がするけど、僕が感じていたのは悲壮感とか、そういうことじゃなかったんだけどな。エンディングを迎え入れるような雰囲気があったことは確かだけど(当たり前だ、永年連れ添った中核メンバーの最後のライブなんだから)、悲壮感だとかそういったものとは無縁で、完成度の高い音楽が、ただそこにある、というような印象だった。良い音楽を、良い音響と良いライティングのなかで演奏しているだけ。それだけに過ぎなかった。だからこその素晴らしいライブだったし、記憶にも残ってるのかな、なんてぼんやり考えてみた。


そんなライブを見れることはもうないけど、他にもまだ聴いたことのない素晴らしい音楽はいくらでもある。そういった音楽を聴きながら過ごしていても、フィッシュマンズの音楽を忘れることはなくて、時々聴き直したり、当時のことを思い出してどうにもならない気分になったりもするんだろうな。錨とか、聖痕とか、そういう言葉がしっくりくる。畜生、こんな夢中にさせる音楽を作ったまんま死ぬなんてな。その責任はしっかり取ってもらおう。うちのプレイヤーで一生鳴り続けさせてやる。

*1:全編リマスターだったら、フィッシュマンズ好きとしてはほとんどニューアルバムみたいなものだ

*2:3月15日