"ダンスクラシックス"という言葉

ダンスクラシックスという音楽に並々ならぬ思い入れがある僕としては、cinematic氏がまたもや気になる発言をしていたので、まとまらないながらもその内容に対して、乞われたわけでもないのに勝手にアンサーを返してみる。


ダンスクラシックスという音楽に関しては常日頃考えていることがあって、それは、"クラシック"という概念の日本語への輸入が失敗しているんじゃないかということ。英和辞典で"classic"という言葉を引くと、"古典"という意味が第一義に出てくるけど、この表現が往年の、だとか、古い、だとかいったものを思い起こさせてふさわしくないように感じる。英英辞典で見れば、そういった意味はむしろ薄く、"(そのカテゴリーで)最も有名なもの"や、"(明らかに)高いクオリティを持ったもの、あるいはスタンダードなもの"を表す言葉であるはず。そう捉え直したときに"ダンスクラシックス"という言葉を見れば、意味合いもまた違ってくる。わかりやすい例を挙げると、新しい曲を買ったときに、「これはもうクラシック化確定でしょう?」なんていう音楽ファンの与太話に出てくるときの表現が近い。クラシックスとは時代を越えるもの、という言い方がふさわしいか。


そう考えればすぐにわかる。ダンスクラシックスは聴き続けられる。あるいは聴き続けられてしかるべき。例え古いものが取り上げられなくなったとしても、その曲達は時代を越える。ターンテーブルに載せて針を落としさえすれば、何度でも息を吹き返す。さらに、かつての曲達が眠っている間にも、その曲達を礎にしてまた新たにクラシックスは生まれる。心配することはない。
あと数十年経ち、自分の足腰もどうしようもなくなったとしても、自分がかつて愛したクラシックスを聴き、その数十年の間に新たに生まれたクラシックスをあわせて聴く。これは意志。意志がある限り歩みは止まらない。サンキュー・フォー・ザ・ミュージック